2023/08/14
先日、経営コンサルタントの講演のテープ起こし原稿を作成しました。
その講演のお話の中で、「社会は多様化する価値観を受け入れるべきだ」という主旨のお話があり、聞いていると、ちょっと違うなと思いましたので、私なりの答えをひとつ。
近年、「価値観が多様化した」ということをよく耳にしますね。そして、「価値観が多様化している。だからそれを受け入れる社会でなければならない」ということもよく耳にします。
誰しも多様な価値観を受け入れることは大きなエネルギーを要するわけです。
人や組織の価値感を受け入れることに、うざったく感じるときと、なんのストレスも感じないときとがあります。
うざったく感じるのは、「やっぱり価値観が異なるから」は半分正解で半分間違い。その人その組織と自分とで、自分がもっとも大切にしていること(本質)が大きく異なるから、が正解。
なんのストレスも感じないのは、「価値観が同じだから」は半分正解で半分間違い。その人その組織と自分とで、自分がもっとも大切にしていること(本質)が同じまたは近しいから、が正解。
価値観とは物事や状態を評価する物差しです。
この物差しは自分がもっとも大切にしていること(本質)が尺度で、自分がもっとも大切にしていること(本質)にかなっている物事や状態を是と判断し、かなっていない物事や状態を非と判断します。
つまり、価値観とは自分がもっとも大切にしていること(本質)を正当化するための手段です。
本質というのは、人や組織それぞれでそんなに数多く種類はありません。だいたいは1つ、ミラクルで2つくらいです、たぶん。
ということで、手段が増えたのであって、本質が増えたわけではありません。
ですから、本質に着目すれば、価値観が多様化しても混乱はしません。
だから、価値観が多様化しているからそれを受け入れる社会でなければならない、というのはちょっと違っていて、社会が確固たる本質を決定し、その尺度によって受け入れてもいい価値観と受け入れてはいけない価値観とを取捨選択するべきである、というのが正しいです。まあ人間が中心の社会ですので、そんなにスパッと分けられないとは思いますが。
人ベースで言いますと、ある人の価値観に疑問を持ったり受け入れられなかったりするのは当然です。そもそもその人の本質とあなたの本質とが少し違っていたり大きく違っているからです。価値観が近しいまたは同じになるはずがありません。ですから、本質が近しいまたは同じ(というのはいないかもしれないけれど)人であれば、その人の価値観は受け入れることできます。